東亜道路工業の歴史

  ■1950年 朝鮮戦争、アスファルトの統制撤廃  ■1951年 ラジオの民間放送開始、日米安全保障条約調印  ■1952年 現行道路法公布、燃料油の統制撤廃  ■1953年 NHKテレビ放送開始、日米友好通商航海条約調印、朝鮮戦争休戦協定調印  ■1954年 地下鉄丸ノ内線開業(戦後最初の地下鉄)  ■1957年 南極予備観測隊がオングル島に上陸。「昭和基地」と命名  ■1958年 東京タワー竣工  ■1959年 皇太子さま(平成天皇)と美智子さまご成婚、伊勢湾台風襲来

  ■1950年 朝鮮戦争、アスファルトの統制撤廃  ■1951年 ラジオの民間放送開始、日米安全保障条約調印  ■1952年 現行道路法公布、燃料油の統制撤廃  ■1953年 NHKテレビ放送開始、日米友好通商航海条約調印、朝鮮戦争休戦協定調印  ■1954年 地下鉄丸ノ内線開業(戦後最初の地下鉄)  ■1957年 南極予備観測隊がオングル島に上陸。「昭和基地」と命名  ■1958年 東京タワー竣工  ■1959年 皇太子さま(平成天皇)と美智子さまご成婚、伊勢湾台風襲来

  ■1950年 朝鮮戦争、アスファルトの統制撤廃  ■1951年 ラジオの民間放送開始、日米安全保障条約調印  ■1952年 現行道路法公布、燃料油の統制撤廃  ■1953年 NHKテレビ放送開始、日米友好通商航海条約調印、朝鮮戦争休戦協定調印  ■1954年 地下鉄丸ノ内線開業(戦後最初の地下鉄)  ■1957年 南極予備観測隊がオングル島に上陸。「昭和基地」と命名  ■1958年 東京タワー竣工  ■1959年 皇太子さま(平成天皇)と美智子さまご成婚、伊勢湾台風襲来

1950年代

道路建設事業が本格化し、新たな企業展開へ。

横浜工場開設式(1955)
失業対策事業の簡易舗装工事(1950年ごろ~)

1950年
(昭和25年)

技術研究所を横浜に開設

  • 高濃度混合乳剤による細粒度乳剤コンクリート「サンドミックス」の研究
《横浜技術研究所》

1951年
(昭和26年)

現商号の東亜道路工業株式会社に改称

英文名: TOA Road Industry Co., Ltd

社章決定

《昭和26年に制定された社章》

TOA に、 EMULSION(乳液)の頭文字 E を添え、その横に延びた線は道路を表現している。 デザイン的に丸や三角などの類型から脱して流動的にとらえたのが、 従来までのパターンを超えている。
その後、1968年(昭和43年)に、大高猛デザイナーによって現在の社章に改まった。

1952年
(昭和27年)

福岡出張所開設(平成5年4月九州支社に改組)

1955年
(昭和30年)

高松営業所開設(平成5年4月四国支社に改組)

名古屋出張所開設(平成5年4月中部支社に改組)

事業を追加・変更。「道路舗装、防水工事及び一般土木工事請負、瀝青乳剤及びその他瀝青の材料製造販売。防水床張及び舗装用材料の製造販売。」

1956年
(昭和31年)

日本道路公団より阿蘇登山道路舗装工事を受注

《阿蘇登山道路》(1956)

1958年
(昭和33年)

本社社屋ビルの完成

《完成した芝田村本社》(1958年)
  • スタビライザー工法開始

《東亜式走行型スタビライザー国産第一号機》
(住友機械工業製 施工能力 2000m²/h)

これまで輸入のみに頼っていたスタビライザーの国産化を図り、住友機械工業(株)と共同で、乳剤タンク搭載式のシーマン型スタビライザーを開発。国産第一号機としてわが国で初めて使用した。その後、岡山・山口・香川の各県でこれが採用され、府県の道路舗装が急務とされていた当時、道路整備の目的で「特別整備班」が編成される端緒をつくった。

1959年
(昭和34年)

仙台営業所開設(平成5年4月東北支社に改組)

広島出張所開設(昭和58年4月中国支社に改組)

新潟出張所開設(平成5年4月北陸支社に改組)

株式を東京店頭市場に東京証券業協会承認銘柄として公開

《東京国際空港》(1954年当時)